ホンダが初めて軽から小型車へと進出した、1970年式「ホンダ1300クーペ」です。
1968年~72年まで生産された、「ホンダの偉大なる失敗作」と言われるモデルです。
「2000ccクラスのパワー・1500ccクラスの居住性・1000ccクラスの経済性」を持ちあわせたスーパーセダン、世界最強のセダンでもあったわけです。
が、凝りに凝ったその複雑な構造は大きく重く、高コストとなったのでした。
が、凝りに凝ったその複雑な構造は大きく重く、高コストとなったのでした。
技術屋の本田宗一郎らしく、あまりにエンジンに懲りすぎたために、ファミリーサルーンとしては非常に扱いにくいモデルとなり、販売ではカローラやブルーバードに大敗を喫するのでした。
空冷に固執する本田宗一郎と、水冷を主張する若手技術者の間で激しく対立。
最終的には副社長の藤沢武夫が「あなたは社長なのか、技術者なのか、どちらなんだ?」との一言で本田宗一郎は引退することとなります。
最終的には副社長の藤沢武夫が「あなたは社長なのか、技術者なのか、どちらなんだ?」との一言で本田宗一郎は引退することとなります。
その後、ホンダの小型車は1972年登場のシビックへと引き継がれます。