2024年の主催者展示はガンディーニ追悼展示
当初、オートモビルカウンシル2024の主催者展示は、「Designed by ピニンファリーナ」でしたが、3月13日にスーパーカーデザインの新時代を切り拓いた“神”と称されるマルチェロ・ガンディーニ(享年85歳)が亡くなったことから急遽テーマを変更し、「Designed by ガンディーニ」をテーマとして「In Memory of Marcello Gandini」とガンディーニの追悼展示となりました。
マルチェロ・ガンディーニは、ランボルギーニ「カウンタック」や「ミウラ」などお馴染みのスーパーカーブームを巻き起こしたモデルのデザインを手掛けたことで知られており、当時から今へと続くスーパーカーの基本デザインを確立したことで知られています。
今回、入口に入ってすぐの一等地に展示されるモデルは5台
・ ランボルギーニ・エスパーダ・シリーズ2(1970年)
・ ランボルギーニ・ミウラP400(1968年)
・ ランボルギーニ・カウンタックLP400(1974年)
・ ランチア・ストラトスHFストラダーレ(1975年)
・ ディーノ308GT4(1974年)
カーデザイナーではなかったガンディーニ
マルチェロ・ガンディーニは、1938年8月26日に音楽家の両親のもとでトリノで誕生します。幼い頃から音楽を親しみ、ピアノと共に成長していき、そのまま行けば親と同じ音楽家の道へと進むはずでした。
ところが幼い頃に機械工作キットに興味を持ち、メカニズムへ関心を抱くようになっていき、独学でクルマの知識を吸収していきます。高校卒業後はフリーランスのデザイナーとして、機械製品の組み立て図や広告ポスター、照明やインテリアなどの多方面のデザインを手がけるようになっていきます。
1963年に友人の紹介でカロッツェリア・ベルトーネの門を叩きますが採用には至らず、その2年後の1965年にヌッチオ・ベルトーネ社長から直々の声が掛かり、ジウジアーロの後任として招かれます。ガンディーニは当時新人で、ジウジアーロと同じ27歳でした。
ベルトーネでは、同じ27歳ではあっても経験を積んだジウジアーロを継いでカーデザインの新人にチーフを任せるわけにもいかないことから、パオロ・マルティンとの共同作業体制を敷き、ジウジアーロ体制からの緩やかな移行を図ろうとしました。これが、ミウラは「ジウジアーロの作」や「彼のスケッチが元になっている」、などの真偽不明の噂を生み出しています。
ガンディーニは入社からわずか4ヶ月の間に、「ランボルギーニ・ミウラ」を始め「ジャガーFT」「ポルシェ911スパイダー」の3台のデザインを完成させ、ジュネーブショーの開催に間に合わせています。
ガンディーニは、1979年にベルトーネを辞めフリーランスとしてルノーと契約(~1984年)、小型車からトラックまでのデザインを手掛けています。1985年以降はコンサルティングやデザインを主な活躍の場とし、マセラティやランボルギーニではその名を明かしていますが、多くの場合では名を明かさずに黒子に徹しています。
日本のメーカーとも関係が深く、1993年のフランクフルトショー/東京モーターショーに出展されたコンセプトカー「日産AP-X」などがガンディーニのデザインとなっています。
オートモビルカウンシル2024 -追悼ガンディーニ
マルチェロ・ガンディーニが手掛けたデザインは、初期のランボルギーニ・ミウラを除けば、どれも直線の美しさを生かしたウェッジシェイプが基調になっています。「シトロエンBX」や「ルノー・アルピーヌV6ターボ」など、日本車では2代目「コスモ」がガンディーニの作品で、どれもが記憶に残るような鮮烈な存在感を放ち、後の世のクルマのデザインに大きな影響を与えています。
ランボルギーニ・エスパーダ・シリーズ2
4シーターハッチバッククーペとして世界一速いスーパーGTとして設計され、1968年のジュネーブショーでデビューしました。ミウラと同じV12気筒エンジンをフロントに搭載し後輪を駆動、4輪ディスクブレーキを備えていました。
シリーズ2(S2)は、4灯式ヘッドライトやリアエンドパネルのデザイン変更により後方視界の改善などが施されたモデルとなります。エスパーダは10年間で全4シリーズ1,217台が生産され、1978年ランボルギーニ社の倒産と共に生産中止となりました。
ランボルギーニ・ミウラP400
ベルトーネに入社したマルチェロ・ガンディーニが、これまで車のデザインを手掛けたことが無いにも関わらず任され、ゼロからスタイリングを手掛けた初めてのモデルとなります。1996年のジュネーブショーで初披露され、2シータークーペで前例の無いV12気筒エンジンを横置きミッドシップに搭載するという、当時としては非常識なモデルでもあります。
そのデザインは、前任者のジウジアーロのデザイン要素を抽出しベルトーネの伝統的なテイストを保持、ミッドシップでありながらフロントエンジン車を見慣れた人々にも違和感のない絶妙なボディラインとなっていました。
このミウラは、まだ歴史の浅い「ランボルギーニ」の名を世界に知らしめるという重要な役割を担ったのでした。
ランボルギーニ・カウンタックLP400
「何だ!これは」という意味を持つ「カウンタック」、ガンディーニの代表作でもありフロントからリアにかけて1本の線で描くことができる「ワンモーション」のプロポーションがその最大の特徴です。さらにドライバーが限りなく車両前方に座る「キャブフォワード」のデザインはこれまでに前例が無く、斬新そのものでもありました。
唯一無二のドアが前方上方に上がるように開く「シザーズドア」も見る人の度肝を抜き、現在もランボルギーニのアイコンにもなっています。ドアを支えるダンパーは、開発陣から無理だとダメ出しをされましたが、ガンディーニは航空機用のダンパーを持って来て使うなど、その幅広い知識に驚かされたといいます。
ガンディーニのカウンタックのデザインコンセプトは、今も最新のランボルギーニ各車に受け継がれており、そのDNAは脈々と後世のモデルへと引き継がれています。
ランチア・ストラトスHFストラダーレ
「ストラトス」とは成層圏という意味で、HFは「High-Fidelity(Hi-Fi)」の略となっています。「高品質でドライバーの意のままに操ることができるクルマ」という意味になります。
1970年のトリノショーでベルトーネはコンセプトモデル「ストラトスHFゼロ」を発表します。このデザインの系譜は、その後の「ランボルギーニ・カウンタック」や「BMW M1」「フィアットX1/9」などの量販車へと引き継がれていくこととなります。
このゼロを見たランチアは、ラリーマシンとしての素養を見い出しそのコンセプトごとを買い取り、WRCで勝つために開発されました。
・ 補修、点検が容易に行える整備性
・ 過酷なラリーに耐える頑強な機械類と高い信頼性
・ ラリーでの高性能な運動性能
ストラトスのボディ剛性は当時のF1マシンに匹敵、20年後のフェラーリ348を上回ると言われています。この高いボディ剛性のために、ラリーカーも大きな補強をすることなく、ほぼそのままの状態で参戦が可能でした。
エンジンはディーノ246GT/GTS用のフェラーリ製2,418ccのV6で、フォーミュラ2用に開発されたディーノ206GT用のエンジンをボアアップしたものになります。
ディーノ308GT4
ディーノ308GT4は206/246の後継モデルとして登場、206/246がピニンファリーナによる丸みを帯びたデザインで2シーターなのに対し、308GT4はベルトーネのマルチェロ・ガンディーニによる角張ったデザインとなり、ミッドシップエンジンにも関わらず2+2のシートレイアウトとなっています。
搭載エンジンは、新設計のV8で排気量2,927ccの250ps、スモールフェラーリとして現在まで続く「V8フェラーリ」の源流となっています。
当時はV12でなければフェラーリにあらずとまで言われ、それゆえに独立したブランドとして「ディーノ」を名乗っていました。ところがアメリカでの販売がふるわず、その状況を改善する目的で1976年5月以降ではボンネットにフェラーリのエンブレムが付き「フェラーリディーノ208/308GT4」となっています。
1973年から1980年までの7年間で、2,826台が生産されています。