F40/50と節目の年に登場する限定生産モデル -スペチアーレ
オートモビルカウンシル2023のもう一つの主催者テーマは、「エンツェオ・フェラーリ生誕125周年企画 -フェラーリ・スペチアーレ」で、フェラーリがほぼ10年おきに発売するスペシャルモデルの展示が行われています。
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オートモビルカウンシル -ポルシェ911誕生60周年企画ナローからカレラGT
1963年登場のナローポルシェから始まる歴史 オートモビルカウンシル2023の主催者テーマの一つ目は、「ポルシェ911 ...
いずれも、ショーでもなかなかお目にはかかれない、全部で6台ものスペシャルモデルが会場内で最大のスペースに並んでいます。一体、全部で総額いくらになるのでしょうか?
それだけ高価で、貴重なモデルばかりです。ゆえに、常に人だかりができていました。
- 1984年型フェラーリ288GTO
308GTBをベースとしてグループBのレースカテゴリーのために制作されたモデル。デザインは308と同じくピニンファリーナが担当し美しく精悍なボディとなっています。 - 1990年型フェラーリF40
1987年にフェラーリ創業40周年を記念して設計された過激でピュアなスーパースポーツカー。創業者エンツォが存命中に発売された最後のスペチャーレとなります。 - 1997年型フェラーリF50
基本コンセプトは「公道を走るF1」 - 2004年型フェラーリ・エンツォ
フェラーリ創業55周年に創業者エンツェオの名を冠して計画され、F40/F50に次ぐスペチアーレ(限定生産車)になります。フェラーリ中興の祖、ルカ・ディ・モンテゼーモロ時代の2002年に生まれF50がスパルタン過ぎた反省から一定の快適性も保たれています。 - 2016年型フェラーリJ50
フェラーリが日本市場進出50年を記念して日本市場のためだけに10台製作した。現代に連なるフェラーリのデザイン言語がここから始まったとの見方もある。 - 2020年型フェラーリ・モンツァSP1
●……「このモデルが好きなんだ」。50年代のレーシングスポーツ、750モンツァの前を通りかかった際、当時フェラーリ会長を務めていたセルジオ・マルキオンネが言ったひと言から生産が決まったという。シングルシーターをSP1、2シーターをSP2と呼ぶ。
1984年製 Ferrari 288 GTO スペチアーレの始まり
モデル名末尾のOは「Omologata」の頭文字で、いわゆる「ホモロゲーション」のことです。すなわち、レースカテゴリーの中でも最も過激なモンスターとして知られる、グループBレギュレーションに適合させて市販されたのが1984年に登場した288GTOとなります。
フェラーリの公式名としては「GTO」なのですが、1960年代の「250GTO」と区別をするために、一般的には「288GTO」と呼ばれています。
308GTBをベースとして開発されていますが、エンジンは縦置きに変更され軽量化のためにカーボン樹脂が使用されるなど、内外装共に多くのパーツが専用設計となっています。デザインは308GTB同様にピニンファリーナが担当し、大きく張り出した前後のフェンダーやダックテール形状のテールエンドなど、当時の世界中の自動車のデザインに影響を与えています。
また、丸形2灯のリトラクタブル・ヘッドライトは、1980年代の日本車にリトラクタブル・ヘッドライトブームを巻き起こすなど、少なくない影響を与えています。
コクピット背後に縦置きにされる2,855ccのV型8気筒DOHCツインターボエンジンは最高出力406ps最大トルク50.6kgf·mを発生、フェラーリ製グループCレーシングカーのランチア・LC2用の排気量3,000ccを排気量ダウンして搭載しています。これは、ターボ係数1.4をかけてグループBの4.0L以下クラス(最低車重1,100㎏)に収まるように設計されたものになります。0-400m加速は12.7秒、最高速305km/hを誇ります。
車名の「288」は、フェラーリの数字での命名法に従い、この排気量約2,800cc V型8気筒エンジンを搭載しているところから由来します。
ところが、WRC(世界ラリー選手権)に参戦していたライバルは、3.0L以下クラスあるいは2.5L以下クラスでより軽量、しかもいずれも4輪駆動であったことから重く後輪駆動の288GTOでは勝ち目は無く、そのうちに1986年にグループBのカテゴリーが廃止されレースでの活躍の場を失うことになります。
1984~1986年にかけて294台が生産され、うち1台が日本国内へは正規輸入されています。その後に開発された「288GTO エヴォルツィオーネ」は計6台が生産され、そのうちの2台が後の後継モデルF40の開発のためにフェラーリ社内に残されます。
1990年製 Ferrari F40 エンツェオ最後のスペチアーレ
1987年にフェラーリ創業40周年を記念して開発された過激なミッドエンジン・ピュア・スーパースポーツモデルとなります。
フェラーリでは288GTOのレース活動が宙に浮いた後、「288GTO エヴォルツィオーネ (Evoluzione)」を製作し288GTOの競技車両としての可能性を探ります。そのテストを繰り返す中で得られたデータが、その後の後継モデルとなるF40の開発に役立てられることとなります。
288GTOから受け継いだV8ツインターボは3lにスープアップされ、出力は478psまで増強された。ターボバンに入った際のパワーは強烈のひと言。それを御すにはレーシングドライバー並みのスキルが要求された。カリスマ創業者エンツォが存命中に発売された最後のスペチャーレである。
1997年製 Ferrari F50 公道を走るF1
基本コンセプトは路上を走るF1。その基本思想はセンターモノコックがフェラーリ初のフルカーボン・ファイバー製であることからも明らかだ。520psを発揮する4.7lV12自然吸気エンジンは、92年型F1のF92Aから流用し、リアバルクヘッドにリジッドマウントされている。プッシュロッド式インボード・サスペンションを採用する等、徹底的に当時のF1テクノロジー導入を図った。
2004年 Ferrari ENZO
フェラーリ中興の祖、ルカ・ディ・モンテゼーモロ時代の2002年に生まれた傑作モデルで、超軽量高剛性なカーボンファイバー(CFRP)をシャシーとボディに多用するのは、この時代のトレンドとなりポルシェ・カレラGTやメルセデス・ベンツSLRマクラーレンと同じです。前身モデルのF50があまりにスパルタン過ぎた反省から、エアコンを装備するなど一定の快適性も保たれているのが特徴です。
デザインは、当時ピニンファリーナに在籍していた日本人カーデザイナーの奥山清行氏によるものとして、日本でも有名となったモデルです。その後、奥山氏はフェラーリ・カリフォルニア、新幹線や山手線などのJR車両、私鉄では東武特急などの鉄道車両のデザイン、ヤンマーのトラクターなどのデザインを手がけており、意外とそのフェラーリを連想させるデザインが身近に存在します。
エンツェオのデザインは、「RX-78ガンダム」からのインスパイアであると、本人が語っています。
生産台数は当初計画された349台と追加生産50台の計399台、ハンドル位置は左右が選べましたが右ハンドルは1台も受注が無かったとのことです。うち日本国内への正規輸入台数は33台となっています。
エンジンは「型式名F140B」、排気量5,998ccでフェラーリ特有のバンク角は65°の水冷V型12気筒DOHCエンジンとなります。シリンダーブロックはアルミニウム合金製で最高出力660PS、最大トルク67kgf·mと強力なスペックを誇り、回転数は最高8,200rpmまで回すことができます。このエンジンと軽量なボディにより最高速度は350 km/hと公表されています。
低回転でも扱いやすいエンジンとは言われていますが、実は冷却性能に難があり高速走行を維持しないとオーバーヒートを起こす欠点があるとされています。これにより、デザイナーの奥山氏がエンジン冷却のために速度を上げていたところ、スピード違反で検挙されています。
2020 Ferrari Monza SP1
「このモデルが好きなんだ」50年代のレーシングスポーツ、750モンツァの前を通りかかった際、当時フェラーリ会長を務めていたセルジオ・マルキオンネが言い放ったひと言から生産が決まったのがモンツァSP1である。812スーパーファストをベースにボディを大幅にストリップダウン。エンツォ由来のV12は810psを発する。シングルシーターをSP1、2シーターをSP2と呼ぶ。